“海外に出かけて、東京に帰ってきていつも思うのは、空港は野暮だが、隅々までよく掃除が行き届いてきれいだということ。床のタイルは寝転がっても服が汚れないほどピカピカだし、カーペットも丁寧に掃除されている。これは掃除人が義務としてやっているだけではない。ある美意識がそこに働いている。掃除人は自分の仕事を丁寧に完遂することに満足感を覚えているはずだ。道路工事をする人も、電気工事をする人も、料理をする人も同様だ。欧米にも、職人気質というものはあると思うが、それは一定以上の技術と精神性に対して発動されているように思われる。しかし日本の場合は、ごく普通の掃除や調理にも当てはまる。「緻密」「繊細」「丁寧」「簡潔」と、私はよく言っているが、そういう美意識が普通の人々にスタンダードに備わっている。弁当を作るにも精一杯それを美しく行なおうとする心理も同じものだと思う。
ただ、日本人は「美に聡く、醜さに疎い」といわれるように、意識を向けた先には細心の注意を払うが、個人の美意識では把捉できない巨大な醜さを見逃し放置する傾向がある。だから、都市は混沌とし、醜い建築や看板が街に横溢しても、見て見ぬふりをしている。だから、美しい弁当を殺風景なオフィスの会議室や、猥雑な街頭のベンチなどで広げて食べているのも日本の特徴的な光景と言えるだろう。
”
複合的な視点をもつこと、